言葉も通貨にする時代??

「レターポットで言葉で回る経済圏を作る!」

これをキングコング西野さんが唱えている

レターポットとは、西野さんが作ろうとしている新サービスで簡単にいって、文字をお金にするサービス。

 

軽くシステムを説明すると、

例えば、始めに運営から1文字10円で文字を買う。

次に、好きな人の誕生日に「お誕生日おめでとう」という500文字の手紙を書く。

すると、500文字「×10円」で、5,000円。

手紙を書いた人は文字代金5,000円を運営に支払う。

その手紙を受取人は5,000円もらえる。

そして、5,000円もらった人は、5,000円に換金するか、その文字を使って誰かに手紙を書くことができるというシステムです。

使い方としては、被災地に応援メッセージを書くだけで、支援ができる。

なかなかいいサービスだとおもう。

 

だが、ここでちょっと疑問がわいた

言葉を通貨にしだすと、気持ちも通貨になんていう時代がくるのでは?と

さらに、言葉を通貨にするといったときに芸術などの形のないものをお金にするときと同じでなんとなく後ろめたい感情が出てくるのはなぜか?と

 

ぶっちゃけ、気持ちを通貨にすることが、いいことか悪いことかはわからないし、そういう時代が来るかも本当にわからないから、置いておく

芸術を通貨に払うことに関して考えてみると…

他の芸術の例をみると、絵や音楽にはそれなりの対価を払っている。

さらに、言葉でも芸人さんや評論家などはトークや漫才などで価値を生み出している

そう考えると、面白い出来上がったひとつのパッケージの話を通貨にすることやよっぽど専門性のある情報の言葉を通貨にすることは今までも行われてきていることだ。

では、そもそも芸術に価値を付けられるのだろうか?

そこで、『芸術』の意味を調べてみた。

芸術とは、

ギリシャ語の「τεχνη techné(テクネー)」やその訳語、英語では「art」から生まれた言葉で、もともとは単に「人工のもの」を指していた。これは、現代で言うところの「技術」にあたる。

近代以前には、単なる技術と区別して呼ぶ場合に「よい技術、美しい技術」と表現されており、単なる技術とは別のものとして呼ばれてきた。

(wikipediaから一部抜粋・改)

つまり、優れた技術はある中で、際立って美しかったり、良い技術を芸術と呼んだわけだ。

それならば、資本主義社会では素晴らしいものを見せてもらう代わりに対価を払うのは当然である。

では、言葉ではどうか?

言葉だけを扱うもので芸術と呼ぶもの…

思いつく限りでは落語や漫才。

さっきもいったように、完成されたパッケージの言葉が通貨に代わる例はあるが、

一般の人がちょっとした手紙を書いて、それが通貨に代わることはない。

結論として、この新しくキングコング西野さんがはじめようとしているレターポットのサービスはなかなかいい試みではないかと思う。

さらに、人と話すことが少なくなった世の中に言葉にも価値があって、それを通貨に変えることで、

人が言葉を話すことの大事さを再認識するきっかけになる可能性もあるのではないかと思う。

ちょっと、まとまりきってない気はしますが、ご容赦をw

今回はアフリカを離れて、感じたことを書いてみました。

もし、興味ある人は「レターポット」調べてみてください👍✨

それでは今日はこの辺で!

Asante!

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